エントロピーと無秩序の誤解
熱力学第二法則というものがある。
ある"資源"を使い続けるといずれ無くなるだったり、(ただしそう単純な話ではないので後述)
永久機関の製作は不可能を意味したり"時間の矢"は逆向きに流れないというのを意味するなどと言われている。
科学的な意味での(数式としての)熱力学第二法則について知りたい人は他で調べてもらうとして、ここでは哲学的視点でそれを取り上げる。
熱力学第二法則はエントロピーの増大という概念と密接に関係している。
たとえば"ワイングラスを割る"には手で持ってそれを高い位置から離すだけで済むが、"ワイングラスを復元"するには元の状態を覚えておき、なおかつ割れた破片を何らかの技術で全て綺麗に繋いでいく必要がある。
よりエネルギーが必要なのは当然後者であるが、要するにそれがエントロピーの増大の法則である。
(宇宙は低いエントロピーの状態から高いエントロピーの状態へ向かう)
そして問題はここからである。
この事は秩序と無秩序の関係として頻繁に例えられている。
部屋が綺麗なのは秩序で、部屋が散らかっているのは無秩序。日常的で分かりやすい。
時間が経つにつれ部屋が汚くなっていく事はあっても、自然と部屋が勝手に片付いていくことはない。
これはまさにエントロピーの増大と一致する───
という具合に。
一見納得できそうに思えるが、それは間違っている。
部屋が汚くなる事(エントロピーの増大)を"無秩序"と単純に定めることはできない。
なぜならその散らかっている状態がもし誰かから見ると求めている状況であれば、それが秩序といえるからである。
"整っている状況"というのは人が"秩序"として意味を与えているだけである。
全ての物は物理法則に従って動いているにすぎないので、どの状態が秩序でどの状態が無秩序なのかというのは宇宙の立場として見ると存在していない。
これを見てほしい。
溶岩が流れる不毛の大地と、建造物が立ち並ぶ大都市。
もしここで全てのものは時間が経つにつれ無秩序になっていくという偽エントロピーの増大の理論を持ち出せば、このような説明ができる。
どのような高度な文明もいずれ時が経つと崩壊し、そして自然がまた地球を支配するようになる。
人間が大いなる自然をコントロールすることなどできないのだ───
このような説明は"定番"なので必ずどこかで一度は目にしたことがあるはずである。
だが、それはエントロピーの増大の概念を不正確にとらえ都合の良いように解釈しているだけである。(科学の皮を被った宗教に近いものといえる)
なぜなら、もし上の図の不毛の大地を太古の地球の様子といえば、そのような混沌とした状態から長い年月をかけ、壮大な文明が誕生したなどと言えるからである。
同じ図にもかからわず、"説明の仕方"で秩序と無秩序の意味が入れ替わってしまった。
このトリックの真相こそが先ほど言ったように「秩序や無秩序というのは"人"がそれに意味を与えているだけ」である。
そこに"意味を考える存在"がいなければ、どちらも同じ物理法則で成り立っている状態でしかなくそこに秩序や無秩序の概念は存在しない。
※この問題は"機械"は意識を持つことが可能なのか?(中国語の部屋)と一致する部分があるのでそちらもご覧ください
ちなみに熱力学第二法則に反さずに割れたワイングラスが"人の手"を借りずに元の状態に戻ることは絶対にないように思える。
だが、たまたま凄い偶然が重なってその破片がまた元の位置に戻る"確率"は0%じゃない。
もちろんまずありえないが、しかしそれは不可能という意味にはならない。
もし不可能じゃないのであれば、途方もない長い年月を経て"偶然"によりワイングラスが元に戻る可能性はあるわけである。
しかしだとしたら物事は秩序から無秩序へ向かうというエントロピーの増大の法則(偽)に反してしまう。反するのならその法則は間違っている事になる。
これが意味するのはエントロピーというのは秩序から無秩序への流れではなく確率と関係しているである。
"割れたワイングラス"というのは無限に近いパターンが存在する。どのような割れ方でもそれでまとめれるから。
しかし割れていない"そのワイングラス"の状態は基本的には1通りしかない。
どちらの状態が確率的に起きやすいかといえば、当然前者である。
だから割れたグラスが自然と元に戻るのを目撃する事はない。
しかしそれは物理法則で禁止されているという意味ではなく、単純に確率的に起きにくいから。
部屋が勝手に片付かないのも、宇宙の法則がそれを禁止しているからじゃない。
例えば凄い強風が外から部屋の中に吹き、その風がたまたま毛布や洋服などを"畳まれた状態"にすれば、部屋が勝手に片付いた事になる。
というわけでこれがエントロピーと無秩序の誤解である。
しかしこの話と関連した非常に重要な哲学的問題がまだ残っている。
それは"時間"との関係である。
あるエネルギーを使い、それと同じエネルギーを復元しようとすると、元あったエネルギーより多くのエネルギーを必要とする。
というのが熱力学第二法則であるが、これによって地球(宇宙)の"資源"は月日が経つごとに無くなっていく。
これは先ほどの秩序、無秩序と違い誤解でも何でもなく真実のように思える。
人が利用できるエネルギー(低エントロピー)が人が利用できないエネルギー(高エントロピー)に変換されているというだけである。
科学(数学)と直接結びついているので疑問を持つことは何も無いように見える。
だが宇宙的に見るとエネルギー保存の法則があるので、実際はエネルギーは減ってはいない。
全てはただ物理法則に従っているだけなので秩序、無秩序と同じようにこの事すら人が意味を与えているだけと考えることができる。
ある時思ったのだが、熱力学第二法則というのは"人が意味を与えた現象"を数学的に説明する為に用意された物理法則もどきではないのか?
要するに低エントロピーや高エントロピーという正しそうに思える概念すら、宇宙的に見ると本当に存在するのか怪しいわけである。
過去や未来は存在しないというフレーズを一度は聞いたことはあるかもしれないが、言い方が違うだけでこれはまさにそういう事である。
もっと具体的にいうと、"人"(意識を持った存在)の視点でしか存在しないものではないのか?
実際、時間の矢が逆向きに流れても物理法則に影響はないとされている。
つまり宇宙が高エントロピー状態(未来)から低エントロピー状態(過去)に向かうのは熱力学第二法則には反するとされているが、しかし宇宙的に見たら問題ない(かもしれない)わけである。
これは一種のパラドックスのように思える。
この話は次の時間の矢の正体とは?へつづく。