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"機械"は意識を持つことが可能なのか?
(中国語の部屋)


中国語の部屋という思考実験がある。

一見すると単なるちょっと面白い仮定にしか思えないが、これが意味するものはかなり深い。

まずは知らない人の為に概要を説明しよう。

※画像の参照元:(YouTube)

ある小部屋に英語しか分からないイギリス人がいる。

その部屋の中には一冊のマニュアルが存在し、このような形の記号(中国語)が来たらこのような記号(中国語)を返せなどと書かれてある。

そして部屋の外には中国人がおり、中国語で書かれた文章、たとえば「中国を話せますか?」をイギリス人がいる部屋の中へドアの隙間を通して送る。

その文章を受け取ったイギリス人は当然何と書いてあるのか理解できない。

だが部屋の中にはマニュアルが存在するのでその指示に従って返信用の中国語の文章を用意する。

そしてそれを同じようにドアの隙間から部屋の向こう側へ送る。

部屋の外にいる中国人は返ってきた文章「はい!流暢に」を見て部屋の中には中国語を完璧に理解している人がいると確信する。

だが実際はマニュアルに従ってこのやり取りをしているだけの中国語を全く理解していないイギリス人がいる───

この思考実験が意味するものは深く、たとえばAI(人工知能)が意識を持つことはできるのかという問題などと関わっている。

他にも意味するものはあるがまずはAIの問題から始めよう。

この思考実験によって理解する過程がその内側に存在せずとも外側から見ると理解しているかのような行動を取ることは可能というのが分かる。

つまり会話のやり取りだけ見ると人と区別が付かないAIがあったとしてもそれは本当の意味で会話をしているわけじゃない可能性がある。

よって"強いAI"の製作は不可能──

というのが強いAIに反対の立場の主張である。

強いAIとは簡単にいうと生物的な意味での知能を持っている機械の事である。

ちなみに弱いAIという概念も存在し、例を挙げるとアルファ碁のようなソフトウェアである。

アルファ碁が人間よりも囲碁が強いのは間違いないが、しかし本当の意味で思考力が優れていると言えるのだろうか?

というかそもそもアルファ碁は本当に"思考"をしているのだろうか?

思考の定義がハッキリしていないので確実なことは言えないが、しかしそこにアルゴリズム(プログラム)が存在する以上、人と同じプロセスじゃなくともそれは思考に該当すると考えてもいいと思える。

中国語の部屋を例にすると確かに部屋の中の人は中国語を理解していないが、しかしマニュアルに沿った行動をしているという意味ではそこに"理解"の概念が存在している

つまりランダムとして動いていないのを思考の定義の一つだとすればそこに思考が存在していると言えるわけである。

ただしそれが、アルファ碁が思考をしているという意味になるかは怪しい。(後述)

では弱いAIの話を押さえたところで強いAIに話を戻そう。

まず第一に、強いAIの製作は不可能という仮定(結論)がおかしいように思える。

というのも、人の脳機械と全く同じ部品(原子)で作られている。

人だけ他とは違う特別な材料で構成されてるわけではない。

その組み合わされるパターンになったり椅子になったりタンパク質になったりしているのだから、つまり強いAIの製作が可能かどうかは技術的な問題でしかなく宇宙の本質的なものではない。

ちなみに強いAIの例を挙げていなかったがそれはまさしく人の脳である。

つまり強いAIが不可能というのであれば、人の脳も不可能な存在と主張すべきである。

それとも、人は特別な存在だと思いたいからそのような主張をするのだろうか?

だとしたらそれはもはや哲学ではなく宗教の話である。

つまり中国語の部屋の思考実験は"強いAI"の製作は不可能という事を指しているわけじゃない。それは宗教的な意味で解釈されている。

この思考実験の持つ正しい意味合いは、"理解"というのが宇宙において何を意味しているのか ではないだろうか。



ではここでAIが意識を持つことはできるのかという問題と絡めてみる。

もし哲学的ゾンビの存在を信じないのであれば、強いAIは意識を持っていると考えるべきである。

なぜなら先ほど言ったように人の"構成要素"はそこらへんの石ころと何も変わらないからである。原子などの"構成パターン"がただ違うだけ。

つまり逆に言うと弱いAIだけじゃなくどれだけ高度な強いAIすら意識を持つことはないと信じるのであれば、人はみな哲学的ゾンビであると結論を出すべきだろう。

そしてもし哲学的ゾンビじゃない存在がいるのであれば、その人は本当は人じゃない(強いAIに該当しない)何かという事になる。

(この結論はシミュレーション仮説を考慮すると馬鹿げたものじゃなくなる)

ちなみにこの二つの"仮定"はさっきの強いAIの製作は不可能という主張の意味とは大きく異なる。

なぜなら哲学的ゾンビの存在の有無は純粋な謎であるのに対し、強いAIの製作は不可能というのはある信仰(人間はこの宇宙において特別な存在)を肯定する為の"決め付け"でしかないからである。

つまり懐疑的な要素の有無が大きな違いといえる。

どちらを"支持する"かは個人個人に委ねられる(信仰に該当する)が、考えられる可能性を挙げるのは哲学というわけである。

では話をまとめてみる。

・人の脳と高度なAIを区別する"魔法"のような物理法則は存在しない(そのような理論が何かあるのなら話は別だが聞いたことがない)

・つまり強いAIの製作は不可能という結論は勝手な憶測でしかない(哲学から逸脱している)

・中国語の部屋の思考実験が持つ意味はAIは意識を持てるのかというものよりも"理解"というのが何を意味しているのかという方が強い

そしてこの分析は次の"理解"という概念は宇宙において何を意味しているのかへつづく。