宇宙の謎を哲学的に深く考察しているサイト

時間の矢の正体とは?

(Vladimir Kush作:Arrow Of Time)

■前回

エントロピーと無秩序の誤解

前回熱力学第二法則"物理法則"ではなく、エントロピーという"意味"を人が与えた現象を数学的に説明する為に用意された物理法則もどきではないかと言った。

それがどういう事か時間の矢の概念を使いもっと詳しく説明してみる。



時間の矢とは"物事"が過去から未来へと展開することを指す。

だが物事が未来から過去へ展開した事は今まで一度も"目撃"されていない。

その理由としてエントロピーの概念が使われていたりする。

宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)へ必ず向かうという具合に。

だが前回説明したようにエントロピーは実際はそのような決まった流れを意味せず、確率の方と関係している。

だとしたらエントロピーと時間の矢の概念を単純に結びつける事はできないのではないのか?

なぜならそれだと過去から未来へ物事が展開するのは"確率的なもの"となってしまうからである。

確率的なものであるのなら時間の矢は存在しているように見えるだけで実際は存在していないと言える。

存在していないのであれば熱力学第二法則の基本である宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)に向かうという部分は正確には正しくないことになる。(絶対的なものではないから)

とはいえ、あり得るかもしれないのに未来が過去に向かって展開したという"目撃例"は一切存在しない。どう見ても時間は過去から未来へと一方方向にしか進んでいないように思える。

よほど確率的に起きにくいのか?

それとも全く別の原因があるのか?

これに関して私は哲学的な解決法を知っている。

ではそれを今から説明しよう。

まず、時間の矢は"物理的"には存在しないと仮定する。

この仮定は前回も言ったように実際に物理法則に反しないので正しいと考えても問題ない。

時間の矢と熱力学第二法則との繋がりは科学者が勝手にそうだと主張(解釈)しているだけである。

なので時間の矢は存在しないと主張している科学者も普通にいる。

だが物理法則に反さない(時間の矢は存在しない)のであれば、なぜそれが目撃されることはないのか?

その理由は、かなり単純だと思える。

過去に戻る過程で現在の"記憶"まで一緒に過去に戻るからで説明できる。

つまり時間の巻き戻りは実際は頻繁に起きているのかもしれない。

いや本当に起きてるのかどうかは知らないが、そう仮定しても一切問題ないというのがポイント。

だが"人の記憶"まで一緒に過去の状態に戻るから、だからそれを観測する事はその宇宙内(現実)では単純に不可能というわけである。

そしてもしそれを観測できる可能性があるとしたら、それは時間の矢の向きが変わったわけではなく全く別の原因である。

シミュレーション仮説との関連か、たまたま偶然か

例えばたまたま凄い偶然が重なり、ある人から見た範囲で時間の矢の向きが逆向きになった"かのように"全ての分子が動き、物事が未来から過去へ展開しているかのように見えるという具合である。

その場合こそエントロピーの概念によって説明できる。

目撃例がない理由は、"確率的"に目撃するのはほぼ不可能だからというわけである。

つまり時間の矢の概念は物理(エントロピー)とは関係しておらず、意識と直接関係していると考えられる。

というわけで私の考える時間の矢の正体は、意識の基本的な作用の一つである。

これが熱力学第二法則の哲学的な意味での真の正体じゃないだろうか。

だから"物理法則もどき"なのではないかと思うわけである。

つまり宇宙の立場で考えると常にエネルギーは一定で全てはただ物理法則に従っているだけなので、エントロピー(過去や未来)と呼んでいるものは"人"が意識の作用と関連した現象に論理的(数学的)な意味を与えているだけというわけである。

(この部分は中国語の部屋の話と類似している)

そしてこの意識の作用は最も基本的だが最も重要で、これ無しでは絶対に現実が成り立たない

なぜなら未来から過去へ時間が進むと"知識"が一方的に失われていくだけなので現実を"認識"することが出来なくなる。

(つまり現実の認識とは知識の増加を意味すると言える)

もし逆向きの時間の矢を"実感"できるのであればそれは先ほど言ったように時間が巻き戻ってるっぽく見えるだけでしかない。

本当の意味で"時間"が未来から過去へ進んでいない。

つまりこの宇宙に"時間の矢という概念"が存在する理由は、意識こそが宇宙において本質的なものといえるからかもしれないわけである。

時間の矢が存在するかどうかは重要ではなく、その概念を認識する存在がいるのが最も重要なポイントということ。

というわけで時間の矢の結論も"理解"という概念は宇宙において何を意味しているのか(中国語の部屋)と全く同じものになったわけであるが、これは多分偶然じゃありません。

しかもエントロピーの正体の説明はシミュレーション仮説を考慮した哲学的ゾンビについての意識の作用の説明と酷似している。(全く別のアプローチで同じ結論に達している)

それはさておき、しかしこの結論でも謎は残る。

あるエネルギーを使い、それと同じエネルギーを復元しようとすると、元あったエネルギーより多くのエネルギーを必要とする。(ただし確率的に)

という科学的な意味での熱力学第二法則も究極的に考えると意識の作用という事になるわけだが、しかし、なぜそうなのかは不明である。

時が進めば進むほどその宇宙に存在するエネルギーを"人が利用できにくくなる"のはなぜか?

意識が宇宙の本質であるのなら、この事は偶然ではないだろう。

ただこれは時間の矢とは関係のない全く別の哲学の問題なので、取りあえずこの話はここまでにしておこう。

ちなみに一応これで時間の矢の正体の結論は出たが、しかしこの話はもうちょっと掘り下げることが出来る。

本当に時間の矢に関して"意識解釈"以外はないのか?

科学的な理論は存在しないのか?

時間の矢のパラドックスは解決するのか(番外編)へつづく。