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フェルミのパラドックスとシミュレーション仮説との関連


■前回

シミュレーション仮説に潜む倫理的問題?

フェルミのパラドックスとは簡単にいうとなぜ地球外文明(宇宙人)が存在する証拠を発見できていないのかという問題である。

それについて様々な考えがあるが個人的に支持している可能性はこの二つ。

・宇宙人が地球に来ているとしても、姿を現すなんて真似をするのならそもそも地球に来れる文明を持てるはずがない

・超文明を持つに至る前の段階でほとんどの文明は核戦争などによって滅びる

まずは一番目の説から説明しよう。

そもそもなぜ宇宙人は地球に来るのか?

単純に"友好目的"だろうか?

それとも"神として崇められたい"からだろうか?

しかしどちらであろうとそれは宇宙人にとって危険な行為である。

なぜなら高度な文明の存在を知られると技術の提供を強く求められるのは必須。

実際宇宙人が来ていてほしいと言う人の意見をよく見ると高度な技術の提供がその願望を持っている強い理由としてあったりする。

だがそんな真似をしたら、この星の人間に戦争を仕掛けられて乗っ取られるかもしれない。技術レベルが同等になればそれは普通に起こりうる。

そんな高いリスクを負ってまで長距離を移動してこの星の人間と友好的になりたいのだろうか。

一体なぜ?

だからといって技術の提供を拒むと、何だかんだ言って宇宙人を非難するだろう。

つまり神として崇める人は宇宙人マニアなど少数派だと思える。

仮に過半数を超えているとしてもそれでも交流する時間が経てば経つほど技術レベルは自然と近寄って来るはずである。(宇宙人が意図せずとも)

なのでリスクが高いのは変わらない。

宇宙を旅できる技術を持てるほど賢いのに、このような基本的な人間の心理を理解していないわけがない

なので仮に(宇宙的な生物の研究目的か通りすがりか何かで)地球に来ているとしても絶対に姿を現さないと思うわけである。

だから宇宙人を目撃することはない。

ではそもそもなぜ"侵略目的"で来ないのか?

これは先ほどの話よりも単純だと思える。

なぜならそのような攻撃的な種族は、超文明に達する前の段階で大規模な戦争によって文明が崩壊すると考えることができるからである。

正式名称か分からないがそれはフェルミのふるいと呼べる概念だろう。

超文明の維持には極めて高いレベルでの調和が社会に必要となる。

なぜなら扱うエネルギーが高まる分、小さな綻びが全体に広がりやすい。

だがそれを持つ事が可能な社会を構成する生物の存在確立はどう考えても低い。(単なる原始的な生物の存在確率すら高くないだろうから)

更に宇宙空間の途方もない広さが中途半端な文明が宇宙中に広がるのを防ぐバリアのような機能を果たしている。

だからこの文明では隣の惑星への移住どころかただ人が行くだけすら全く何も実現できていない。

だから宇宙誕生から140億年近く経っていても宇宙を支配する帝国のような存在が周りにいないというわけである。

それはファンタジーにしか存在しない矛盾した存在といえるから。



ちなみにフェルミのふるいは戦争以外にも自然災害も当てはまる。

要するに科学技術の発展がなければ戦争がなくても天災によって最終的にフェルミのふるいに引っかかるわけである。(大繁栄していた恐竜の絶滅もこれに当てはまるといえる)

他にも食料不足エネルギー不足ウイルスなどによるパンデミックなど様々な種類があるが、これも同じ意味になる。

ちなみに少子化も当てはまりそうだが、ただし人口減少=フェルミのふるいと単純に考えることはできない。

なぜなら生き残りがたった一人だとしても、その一人がその文明を永続的に維持できる能力を持っているのであれば定義上これには引っ掛からないからである。

この問題は数よりも質が重要である。

そしてこれがシミュレーション仮説とどう関係するのか、それは宇宙人の部分をシミュレーション実行側の存在に置き換えてみれば分かる。

おそらく全く同じ事が当てはまるだろう。

宇宙中を移動できる超高度な文明のレベルは求められないが、しかしそれでも脳機能神経の働きをほぼ完璧に熟知しているレベルは求められる。

さらにそれを元にしてシミュレーション人生を作れるほどの高性能のコンピュータ技術も求められる。

たとえKardashev scale(Wikipedia)と呼ばれるような意味不明に超高度な文明レベルの基準に届かなくても2017年現在の文明レベルと比べると非常に高度なのは変わらない。

そしてそこに達する前にこの文明が崩壊しない保証があるだろうか?

もしかしたら結構な人が思ってるかもしれないが、どう見ても明らかにその保証はない。

毎年明らかにそれにリアルに近づいている気がするのだが、これは果たして気のせいなのだろうか?

なのでこの点を考慮してもこの現実が先祖シミュレーション仮説として作られているとは言い切れない。

では未来人以外(人間が作ったAIの進化形も含まれる)だとシミュレーション実行側に存在する他の可能性はどのようなものがあるのか。

地球に来ていた地球外生命体が崩壊した地球の文明の過去をある個人の経験として再現したという意表をついた可能性もあったりするだろうが、それ以外のパターン全てを大雑把に統合するとパラレルワールドシミュレーション仮説が先祖と宇宙人シミュレーション仮説以外の選択肢としてある。

未来以外となればこの世界の歴史とは違う時間軸でこの現実が作られているという可能性しかないので全てそれで統合できる。

(厳密言うと先祖、宇宙人シミュレーション仮説も完璧な過去は再現できないので全てこれに該当する気がしなくはない)

そしてフェルミのふるいを考慮すれば候補を絞ることは可能になる。

例えば前々回少し触れたようになぜ人生VRゲーム説が単独で当てはまらないのか。

それは暇つぶし目的でシミュレーションを乱用するような社会はそもそもそのレベルの文明を持つ前の段階で崩壊する、もしくは持てたとしても乱用による影響によって社会に混乱が起きいずれ崩壊すると考えられるので意識の主の真理としては存在できないと考えることができるからである。

というわけで今までの話をまとめるとこうなる。

・単なるゲーム目的でシミュレーションが実行されているとは考えにくい

・悪人シミュレーションの可能性も考えにくい

・良い人生を送る為だけに実行されているの可能性も低い

・この世界の未来に該当する世界でシミュレーションが実行されているとは言い切れない

ちなみにこの理論は一応ソリプシズムなのでどのような存在がこの現実のシミュレーションを行っているのかは各自自由に考えるべきである。

ただどの時間軸かやどんな生物かという話は置いておいても、一体どのような"社会"が水槽の脳シミュレーションを実行しているのか?

フェルミのふるいに引っかからない社会とはどのようなものなのか。

シミュレーション経験後に本体の人格の変化が起きるのを考慮すると"個人"の概念が現在地球に存在する社会とは違うはずである。

経験前と経験後じゃ若干別人になるのだから現在のような個性の感覚とは考えにくい。

精神的変化を恐れず、シミュレーション実行による"死"をも恐れない。(後述)

たとえば、集合精神(Wikipedia)が実際に実現している世界とかだろうか?

水槽の脳シミュレーション技術が存在するのだからそれがあっても不思議ではない。

ちなみにそれが実現すればソリプシズムの概念がその社会では違ったものになる。

それ自体がソリプシズム的であるから現在よりも社会的に遥かに受け入れやすい概念になるだろう。

それに若干別人になるという点もその技術が持つ特徴に含まれていると思われる。

なのでシミュレーション実行による人格の変化もそれほど気にしないというわけである。(おそらく)

ただ集合精神といってもハイブマインド(完全に個性が存在しない)タイプとは言い切れない。

必要に応じて集合精神に入ったり出たりするタイプ(弱いハイブマインド)も考えられる。

実際こっちの方がイデアリズム的なソリプシズムの概念と一致する。

何であろうとこのような社会構成とは違うのは確かだと思える。

ただし、今の話はこの現実の次が水槽の脳のシミュレーションによって行われていたと明らかになる場合にのみ適応される。

というのももし完璧な形のシミュレーション宇宙から抽出される形で復元された場合、意識の主にとっては話が変わるからである。

集合精神を実現させた存在が経験していたとはならず、

集合精神を実現させた存在によって完璧な形のシミュレーション宇宙から現実世界(もしくは別のタイプのシミュレーション宇宙)へ"死後"に該当するポイントから復元も含み情報の移転が行われたということになる。

(今ので何を言ってるのかすぐに理解した人はシミュレーション仮説通と言えるだろう)

そのケースの場合水槽の脳シミュレーションだったと明らかになるのはここから数えて最低でも次の次以降になる。

要するに、この問題は簡単に答えを出せないものである。(集合精神もあくまで一例でしかない)

そして次はコンピュータの故障による現実の崩壊が起きない理由の説明に移る。

それは自由意志とも関連したものなので少し複雑である。

(途中で言ったシミュレーション実行による死についても説明している)

上の層のコンピュータの故障による現実の崩壊が起きない理由へつづく。