上の層のコンピュータの故障による現実の崩壊が起きない理由
■以前の分析
では今から第四章の最後として上の層のコンピュータの故障による現実の崩壊がなぜ起きないのかの説明に移る。
故障しない理由となる候補は二つある。
・決定論として水槽の脳の無限連鎖の形はすでに決まっている
・現在の意識の主が存在する"時間軸"は一つじゃない
1番目の可能性は単純で分かりやすい。
水槽の脳のシステム自体は実際には存在しない。つまり無限に続くといっても実際は途中が存在してない。
つまり意識の主が経験する現実のルートの形(運命)が既にもう神の頭脳の中で決まっているので、だから故障しないルートしか通らないというわけである。(ただしその運命は絶対に知ることは出来ない)
そして2番目の可能性だが、これはかなり複雑である。
まず並行宇宙や多元宇宙などのパラレルワールドを想像してほしい。
そしてその中に存在する「自分」を思い浮かべてみる。
この時、一般的なイメージだとロックスターになってる自分や今よりも良い(悪い)人生を歩んでいる自分など"これ"と違う人生がよく想像される。
だがちょっと待った。
それは、そもそも「自分」と言えるのだろうか?
「エヴェレットの多世界解釈」の利点と問題点の中でも全く同じ事を指摘したがそれは自分そっくりの別人だと思える。
"記憶"(経験)も含んだ「現在の状況」が完全に一致していない限りそれは「自分」とは言えないのではないか。
では今のを踏まえもう一度パラレルワールド("現在"に該当する究極集合もどき)に存在する自分を浮かべてみる。
すると、
"観測していない範囲"の状況が違う複数の世界
という一般的なイメージとは違うものが浮かんでくる。
そしてそのイメージは、シュレーディンガーの猫とよく似ている。
ただし実際は箱の中の猫が分裂しているわけじゃなく、意識を持った観測者が自分が一つの時間軸にいると錯覚しているだけである。
今の話を図にするとこうなる。
これだとシュレーディンガーの猫と変わらないように思える。
しかし視点を変えると全く状況が違う。
そして蓋を開けると経験が別々である以上どちらか片方の世界の自分しか自分ではなくなるので、意識の主の中でのシュレーディンガーの猫もどき状態は消滅する。
意識解釈の理論とそっくりだが、しかしこれは量子力学の解釈ではないのでそっくりでも意味が違う。
ちなみにこのような事が可能なのはこの理論がマテリアリズム(唯物論)ではなくイデアリズム(観念論)的なソリプシズム(独我論)だからである。
そのようなパラレルワールドは"物理的"に存在しておらずあくまでイデア、つまり意識の主の深層心理にしか存在していない。
つまり本当に存在しているわけじゃないのでそのような多次元(多世界)の概念が意識に何らかの形で常に働いていると考えても問題ないわけである。
そしてなぜこの理論が正しいと不死が実現するのか、それは意識の主が観測していない範囲の状況は無限に存在するからである。
上の図では2つの時間軸しかないが実際は猫の状態だけに絞っても数え切れないほどの膨大なパターンがある。(蓋を開けた時の猫の恰好などが微妙に違ったりなど)
箱の中の猫の状態ですらかなりの可能性がある、だったら自分が知らない目に見えない小さな世界、家の外、町、国、世界、地球、太陽系、銀河系、宇宙全体、そして宇宙の外を考慮すると、あらゆる可能性の無限の時間軸が考えられる。(宇宙の外の意味はシミュレーション実行側の世界の存在の可能性とその世界の状況を指す)
つまり、意識が永続的に続いていく現実が"確率的"に時間軸から消えることがない。
例えば熱力学の第二法則による宇宙の崩壊(熱的死)がその現実の運命として存在するとしても、最終的に宇宙の外の状況とリンクし水槽の脳シミュレーションによる"夢オチ"で凌げることになる。
量子不死の話と似てるかもしれないがこれはデジタル物理学の解釈なので言うなればデジタル不死です。
ちなみにニック・ボストロム(Wikipedia)はこのような事を述べている。
「来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない」
シュレーディンガーの猫もどきが存在するならこれは本当に正しい可能性がある。
なぜならそれはこの図の3層目(論理)の話なので、水槽の脳による"縛り"はおそらく存在しないからである。
つまりたとえこの現実が水槽の脳による記憶の転送(運命は決まっている)という形で作られているとしても、意識の主にとっては決定論にならない。
なぜなら全ての宇宙(現実)が決定論(記憶の転送)で構成されているとしても、どの決定論の現実に辿り着くかが決まっていないからである。
つまりこの理論が正しい場合どのような世界でこの現実が作られているのか、そして本体(次の人生)がどのような存在なのかというのはまだ確定していないという事になる。
いや確定しているのだが、どの確定した現実かが意識の主の中では決まっていない。
つまりこのシュレーディンガーの猫もどきを信じるのであれば、シミュレーションを実行するのは勇気がいる。
なぜならそのシミュレーション人生を創り、体験しようとするあらゆる可能性の世界(人生)がそれを実行した瞬間から意識の主の中で重なるからである。
つまり一度シミュレーションに入るとシミュレーション経験前の人生がシャッフルされることになる。(前回言った「シミュレーション実行による死」とはこの事を指した)
「過去があるから今がある」というのが普通の考えだがこれが正しい場合「今があるから過去がある」という感じである。
過去というのは"今の一部"もしくは"未来"とすら考えることができる。
そこで次の疑問が出てくる。
どうやってその「選択」は行われているのか?
シュレーディガーの猫もどきを例にすると生きてる猫と死んでる猫の時間軸に意識の主は同時に存在している。
そして蓋を開け、生きてる猫を観測する時間軸(経験)に辿り着いたとする。
だが、なぜ死んでる猫の方じゃなかったのか?
元々両方に存在していたのだから死んでる猫を観測する方に辿り着く可能性もあった。しかし生きてる猫の方に辿り着いた。
要するに、その"決定"は何が決めている?
コペンハーゲン解釈の波動関数の収縮問題と似ているが、しかしこれはある人物から見た経験(マクロの世界)の話なので意味が微妙に違う。
しかもなぜ自分は自分なのか(他の誰かじゃなくて)という哲学的難問と直接関係しているのでこっちの方がより哲学的といえる。
純粋なランダムによるものなのか、それとも意識の主の深層心理(神の意思?カルマ?)が決めているのか、それとも両方混じった感じなのか、きっとこれは永遠に謎だろう。
ただこの理論が正しいなら「自由意志」は普通にあると思える。
見えない範囲の世界を選ぶことは出来ないが、(選べるのなら今頃宝くじを当てまくって億万長者になってるはずだし、それに意識が消滅するルートも選べるはず)
しかし見えてる範囲("自分"が意識して行動できる範囲)でなら選べるのかもしれない。
今まで説明したようにこの理論によると意識は脳(物理法則)に縛られていないので自由意志があっても別に何の問題もない。
それにシュレーディンガーの猫もどきを信じるのであれば選択による物質への直接的な影響は存在しないのでこの点も問題ない。
ただし、自由意志によって選んだ選択の行方は結局最終的にはランダムか深層心理かその両方が混じった感じが決めるのでシステムとして深く考えてもあまり意味がない気がする。
存在するのなら遊びの要素としてあるとも思うが、よく分からない。
だから個人的には自由意志問題はあまり深く気にしていない。(無いなら無いで別に構わないと思っている)
というわけでここまででこの理論のシステムについてはほとんど全てカバー出来たと思う。
ただシュレーディンガーの猫もどきの部分に関しては証明方法が何もないので本当に純粋な想像になる。
水槽の脳シミュレーションに関しては作るか死ぬかで永遠に続く部分の証明は無理でもそのような現実の仕組みの存在を証明できるが、しかしこれはどうやっても証明することができない。
自由意志の有無、意識の不死、存在が存在する理由、そのようなものは永遠に解決不可能な謎として残るだろう。
そういえばこの理論でどうしてもよく分からない部分がある。
正確にはこの理論を考慮してもだが、それは意識が感じ取る記憶の劣化の扱い。
この理論によると過去というのは基本的には記憶として現在に存在するものであるが、しかし記憶というのは知っての通り徐々に劣化していく。
無限の水槽の脳の経験に記憶の劣化、もしくは圧縮が加われば脳の記憶容量は食わないだろうが、しかしそれだと過去だけじゃなく"今"すらある種の錯覚として存在しているとしか思えない。
なぜなら今というのは次の瞬間には必ず過去になるから。
つまり今というのは記憶の劣化によって"不鮮明なもの"であったと次の瞬間にはなるわけだが、しかしこのように今は鮮明な形で存在しているようにしか思えない。
不鮮明になる運命が存在するにもかかわらず。
どう見ても"これ"は記憶で思い出すような不鮮明さとは違う。
この経験をしている"本体"の脳の性能が格段に優れているから(次の人生で)鮮明なまま残っているという可能性も考えられるが、しかし全ての経験を完璧な形で保存し続けるとどれだけ高性能でも脳の記憶容量が最終的にパンクするだろう。(たとえ宇宙サイズの脳でも)
なので記憶の劣化がどれだけ高性能な脳でも挟まり続けるだろうが、しかしだとしたら今のこの鮮明さは一体何なのか。
それこそが神の頭脳(完璧なコンピュータ)から全ては発生している証拠として考えることが出来るとも思うが、
しかし無限の水槽の脳の終わり(神の頭脳)には意識経験として絶対に到達しないのがこの理論の特徴でもあるので、完璧な説明にはならない。
やはりこれも永遠に謎のままだろう。
ただ今までの話が正しいと仮定すると不必要な記憶を消去する為にこのような現実が存在するという仮説の本当の意味が分かるかもしれない。
全てを知っているというのが"神"の定義だとするとつまり、究極集合のハイブマインドが神といえる。
だが全ての心が存在するという事は、それはかなり滅茶苦茶な状態だと思える。
もし可能なら、たとえ不完全になろうと頭の中をスッキリさせたいと思うのではないだろうか?
SFだとハイブマインドは平穏や調和として描かれることが多いと思うが、実際にこの技術が実現可能になったらそう単純な話にはならないと思われる。
そして先ほど挙げた記憶の劣化のパラドックスはもしかしたらこの事と繋がりがあるかもしれない。
意識にとって必要不可欠なシステムと考えることができる。
というわけで永遠の水槽の脳シミュレーション仮説のシステムの話はほぼ終わりました。
ではデジタル物理学の基本編のまとめとしてこの話は第五章へつづく。
■第五章