無限後退問題の解決方法
■前回
前回指摘したように水槽の脳を宇宙の真実として考える事が出来ないのであれば、この理論を正しいと考えることは出来ないのではないか?
どうやって無限後退の問題を解決する?
確かに真理としては考えられないが、だからといってそれが間違いとはならない。
例えば容量の問題。
全人生の記憶を隅々まで覚えている仕組みであれば無限の時間が存在すると無限のメモリが必要になり無理が生じるだろうが、最初に意識を持った時から今の今まで事細かに全てを記憶している人はいるだろうか?
(いるという話を聞いたことがある気もするが)しかし通常は結構曖昧にしか覚えていないだろう。それに断片的。
たとえば去年1年間の記憶を頑張って思い出しても、それを映像としての記憶として繋いでみると5分にも満たない気がするのだがどうだろうか?
普通にもっと短い気もする上に映像のクオリティもかなり低いだろう。
鮮明な形で思い出すことはできない。かなりぼやけている。
つまり1億年分の人生経験を用意しても本当に1億年間の情報処理の過程が必要になるとはならない。
極端だが3日程度あれば充分かもしれない。
今の話が意味するのはシミュレーション人生の期間とシミュレーション実行側で流れる時間とのギャップである。
つまり3日しか経っていなくても1億年生きた"気分"になれる可能性があるわけである。
意識がそう錯覚する。
それにたとえシミュレーション実行側で流れる時間が実際に長くなろうと、容量の限界に近付いたら記憶が新しいものに書き換えられる、もしくは古い記憶はクオリティが低下していくはずなので意識にとっての記憶容量の限界が宇宙の根底に存在してもその限界内でやり取りが無限に行われる可能性は否定できない。
無限の人生経験パターンがあれば無限ループも起きない。(たった一人の人間の持つ人生経験のパターンのポテンシャルですら膨大にある)
つまりこのモデルのシミュレーションは意識の思い込みが鍵になっているので、完璧な形でシミュレーションが無限に続くタイプの持つ弱点を消している意味がある。
よって容量にまつわる無限後退の問題は完全に解決したとは言えないものの、それを理由にこの仮説が間違いとも言えないわけである。
そしてこの理論を正しいと仮定するとこのような事が浮かんでくる。
ひも理論、多元宇宙論、ホログラフィック宇宙論、そしてコンピュータによる完全な形のシミュレーション宇宙の存在などは宇宙の理想の姿、つまりイデア(Wikipedia)的な感じで存在しているのではないか。
イデアというのは簡単にいうと完璧な円というのは確かに概念としては存在するが、しかし現実世界でそれが物理的な意味では存在しないというもの。あくまでアイディアでしか存在しない。
つまり例えばひも理論を元にした情報として記述可能な宇宙が論理的に存在しても、水槽の脳による現実が成り立つ以上それが現実の真の姿とはならないという感じである。
今ので何となく意味が伝われば幸いである。
※ちなみにこれはこのサイトのイデア論であるので一般的なイデア論の定義と同じではないかもしれない
つまり一般的にはビッグバン理論によって宇宙は誕生したと思われているが、この理論によるとそれはあくまでイデアとしての現象であってこの現実(ある存在の視点から見た宇宙)が存在する本当の原因ではないことになる。
ちなみに本当の原因は二つ考えられる。
一つ目はシミュレーション実行側による何らかの目的によってシミュレーションが実行されている。
二つ目は、想像することすら困難。(この先説明する無限後退の終点と関わっているから)
※目的に関する詳細は第三章から説明している
ただ何であろうと実際、水槽の脳を受け入れると、何でもありになる。
先ほど言ったように、時間の流れも誤魔化せる。
さらに物理法則を無視した現象だって簡単に組み込むことができる。(これが世の中にある超常現象の正体?)
完璧な宇宙を再現するのとは意味が違うので魔法が存在する世界に住む魔法使いの人生だって作ろうと思えば作って体験できるだろう。
その為に魔法がどうにかして成り立つ宇宙の物理法則の探求は決して必要ではない。やってもいいと思うが絶対に必要ではない。
そのような完璧な宇宙(論理的なイデア)を探求せずともそのような世界に住んでいるシミュレーション人生だけを100年後のシムシティのようなソフトで設計すれば良いだけ。
そして100年後のVR装置でその設計した人生に入り込めば水槽の脳は完成。
だがそれでも全ての現実は情報(コンピュータと脳)が制御しているので単独の宇宙としてみると非論理的な構成でも無秩序は意味していない。
つまり超常現象が本当に存在してもそれは本当の意味での超常現象ではないわけである。
何でもありだが、究極的に見ると全て論理的に存在している。
これが水槽の脳シミュレーション仮説の基盤である。
そういえば前回言った死後この説の正しさが判断できない場合の例をここで紹介しておこう。
それは死後の世界まで"その人物のシミュレーション人生"に組み込まれている場合である。
つまり例えるなら天界が存在する世界までその経験する人物のシミュレーション人生に最初から組み込んでいれば、死後の意味が上の層での目覚めにならない。
意識経験としては何でもありのポテンシャルを持っているのだから死に該当するポイントから必ず目が覚める形でシミュレーションが終了する絶対的な理由はないわけである。
実際シミュレーションの終了自体、究極的に見ると意識による錯覚でしかない。(後述)
なのでこのケースは例外と言ったが(この先の項目でも例外扱いにしているが)、実際は例外ではなくこれが起きる確率は単純に考えるとシミュレーション実行側で目が覚める確率と同じなので50/50である。
ただ問題はまだある。
結局その無限の"発生源"は何なのか?
ここまで色々考えたがこれを答えることが出来なければ今までの話はほとんど意味がない。
なぜなら水槽の脳が永遠に続くのであれば水槽の脳のシステムすら究極的に考えると現実には存在していないからである。
上の層とか下の層とかそういうのは意識経験として感覚的にのみ存在し、実際には存在していない。
だがこの疑問については、人知の及ばない天然の超スーパーコンピュータ(神の頭脳)内で発生していると考えることは出来る。
というか宇宙が情報で成り立ってると仮定するのであればそう考える以外他に選択肢がないように思える。
例えばこの宇宙はブラックホール内にあるという宇宙ホログラム仮説があるが、
※ただしそれはホログラフィック原理から導かれる仮説の一つであって仮説は他にも色々ある(パラレルワールドからの投影説やシミュレーション仮説と直で結びつけている説もある)
しかしそのブラックホールはこの宇宙の上の層の宇宙に存在していると考えれるので、つまりそのブラックホールがある宇宙も別のブラックホール内にあって…となり無限後退が発生する。
つまりその仮説だと"情報"が結局何を意味しているのか不明のままである。(ブラックホール以外にも先ほど例を挙げたようなタイプの説でもこれは当てはまる)
さらに意識にまつわる問題も結局何も進展しない。
たとえばブラックホールの表面の情報がなぜ意識を持ち"立体"を感じ取れているのか?
その説が正しいと仮定しても、結局その肝心のトリックの仕掛けが不明というわけである。
おそらく宇宙ホログラム仮説のようなのは宇宙の真の姿というより宇宙が単純に"物"(情報のみ)で出来ていないというのを"内側の存在"に仄めかす役割としてあるものじゃないだろうか。
(今のは哲学的推測というよりやや宗教的な見解であるが、しかし間違っているとは思わない)
なのでデジタル物理学の哲学として考えると完璧なコンピュータ(神の頭脳)の概念は不自然じゃない。
ちなみに誤解しそうになるがその意味は神の頭脳の中で意識は発生している(情報処理能力が意識を生させる条件)ではない。
意識の正体が神の頭脳である。
だからこの理論はイデアリズム的であれど基盤はソリプシズムなわけである。(意識は数学のパターンではなく数学を超えた存在だから)
つまり情報処理能力は意識の作用の一部ということになる。
※ただし次の章で説明しているが潜在意識の概念がそれを成り立たせる為に必ず必要になる
なのでコンピュータはコンピュータでも人工的に再現するのが絶対に不可能なコンピュータ。
そしてそれの不完全バージョンが現実にある脳やコンピュータといえるかもしれない。
つまり"現実の真実"は「水槽の脳」(不完全なコンピュータ)だが、"それを制御する論理"が「宇宙の真実」(完璧なコンピュータ)として確かにそこにあり続けるので単純な無限後退には当てはまらない。
個人の経験としては絶対に辿り着かないが、確かに終わりがある。
円周率には終わりがないが、しかしπとしてまとめる事ができるのと同じ感じかもしれない。
よって無限後退の問題は完璧ではないが、クリアしたと考えることが出来る。
ただ神という言葉を使っているが、神として意識を持っているとは思わない。
というのも神が存在してしまうと全て(無限に存在する生物の可能な限りのあらゆる経験)を知っている以上、そこから変化が何も起きない。
変化がないのであれば存在しないのと変わらない。
よって"意識を持った"全知全能の神(生物としての神)は存在しないと思うわけである。
そもそも神の視点と個人の視点の二つが同時に存在するとソリプシズムの原理が崩れる。
ただし、ほんの一瞬だとしても存在したという可能性は否定できない。
(ただその話は哲学の項目で取り上げている問題と絡んだかなり複雑なものであるのでここでは一旦無視する)
ちなみになぜそのような究極の情報処理システム(意識)が誕生したのかという疑問は、これはもう永遠の謎とするしかない。
誕生したのか、それとも元々そこにあったのか、それすら分からない。
なぜ何もないのではなく、何かがあるのかという問いと同じなのでどうしようもない。それは神すら分からないという事で無視しよう。
というわけでここまでが永遠の水槽の脳シミュレーション仮説の基本である。
そしてこれはデジタル物理学の哲学であるが、しかしデジタル物理学自体が哲学みたいなものなので普通に哲学と考えてもいいだろう。(現在最先端の哲学がデジタル物理学といえる)
ちなみにこの分析の中身のほとんどは独自に思いついたものなのだが、しかし調べてみるとニック・ボストロムのシミュレーション議論やYouTubeの"Simulated Reality"など似たようなことは既に誰かが思いついていた。
日本のWikipediaのシミュレーテッドリアリティの項目にすら似たようなことが書かれている。やはり考えることは皆同じのようである。
ただ無限後退にまつわる問題を考慮している例は調べた限りかなり少ないので、ここで挙げた解決方法は本当にオリジナルかは分からないがかなり珍しいのは確かである。
それに様々な意識の問題と絡めて考えている例もほんとどない。
実際近年シミュレーション仮説ブームなのだがその説を支持している人のほとんどはこの宇宙がシミュレーションかもしれないという部分だけに興味があってどのシミュレーションタイプなのか、その上の層の真実(無限後退の問題をどうするのか)などに関心がある人はほとんど見かけない。
ちなみにこの宇宙論に関してはまだまだ言うことが残っている。(これでもまだ序章)
例えば途中で少し触れた量子力学の解釈との関連や、まだしっかりと触れていない上の層のコンピュータの故障による現実の崩壊がなぜ起きないのか、などまだまだ色々ある。倫理の問題についても言う事がある。
第三章へつづく。
■第三章