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科学、哲学、宗教の違いを解説

科学、哲学、宗教の違いなんて簡単に分かると思える。

だがこれらの定義を本当の意味で理解するのはかなり難しい。

どういう事か量子力学の話を交えて説明しよう。



■科学の定義

量子力学の中でで必ずコペンハーゲン解釈多世界解釈など何らかの解釈が出てくるが、あれは量子力学の項目の中でも触れたように科学とは違う。

あれは科学と関連した哲学、もしくはその人の持つ信仰と言った方が正確である。

なぜなら科学というのは基本的にものがどのように動くのかを研究する学問であって、それ以上の意味はないからである。

もし純粋に量子力学を"科学的"に考えた場合、そこに解釈は存在しない

ある解釈を否定する見解すら存在しない。(数式に反したものであれば別)

実験とそのデータを表す数式のみ。

有名な言葉で"Shut up and calculate"(黙って計算しろ)というのがある。

生徒が教師に「量子力学が何を意味しているのか」尋ねても、教師は"量子力学"を教えているにも関わらず生徒に答えを返すことが出来ない。

そこで困った教師は「黙って計算しろ」と生徒に言うわけである。(量子力学の意味を考えずとも"それ"を学ぶ事はできるから)

今の喩え話が意味するのは教師は量子力学を教えているというよりむしろ量子力学の中で使われてる"方程式"(数学)を教えているという感じである。

量子力学の"実態"が不明である以上、そういう事になる。

つまり純粋な科学(物理学)の理解というのは宇宙の理解というより数学の理解の方が意味は近いわけである。(だからデジタル物理学数学的宇宙仮説のようなものが存在する)

実際量子力学の解釈を調べてる過程で「量子力学というのは図で説明するより数式で説明した方が分かりやすい」という意見を何度か目にした。

その真相はその人は量子力学を理解しているわけじゃなく数学の方程式の仕組みを理解しているからである。

「量子力学を図で説明するのは特殊な才能がいる」という意見も目にした事があるが、それも同じ理由である。

その場合その数式をイメージとして変換できる人がそれに当てはまるだろう。

ちなみに解釈などを一切紹介せずに量子力学の数式をそのまま映像として表現している珍しい解説があるので興味があるならご覧ください。(ただし見ていて面白いものじゃない)

YouTube:Visualization of Quantum Physics

■哲学の定義

これは実際に定義するのは難しい。

なぜなら科学を元にした哲学(量子力学の解釈など)があったり、懐疑的な宇宙の見方よる哲学(哲学的ゾンビ問題など)があったり、その二つを合わせたような哲学があったり、宗教と絡めた哲学などがあったりと、実際にバリエーションが豊富だからである。

宇宙(現実)が何であるのかを論理的に考えるのが哲学だと思うが、しかしそのアプローチの方法がいくつもあるので定義するのが難しいわけである。

たとえばひも理論(多元宇宙論)は人によっては科学と定義しているが、しかしひも理論を証明する実験は現在のところ何もないので、あれは(数学的な)哲学と言った方が正確という意見もよく見かける。

■宗教の定義

それが古典的な宗教を指しているのであれば話は簡単。

しかし、個人の持つ哲学的な信仰まで宗教とカウントすると話は複雑になる。

たとえば、科学と宗教は相反するもののように思える。

しかし実際はこの二つは相反するものじゃない。

なぜなら科学は真実を意味するものではなく、学ぶものだからである。

それに宗教的な何かの概念が本当に存在しないものとも言い切れない。

それを否定できる科学的な証拠があれば話は別だが、しかし話はそう単純にはいかない。(後述)

本当の話だが宗教家の中には科学を用いて大昔の本の中身を真実だと肯定しようとする者がいる。

これが現代の宗教家である。科学と宗教が反するという考えは古い。

この事に詳しくない人はそんな事が可能なのかと思うだろう。

だが最初に説明したように科学というのはものがどのように動くのかを研究する学問(パターン解析)であって、それ以上の意味はない。

なのでその研究対象が持つ内面的な性質(意味)は、個人個人が考えることになる。

だから量子力学には様々な解釈が存在する。

おそらくこの部分を誤解していない人の方が少ない。(経験上)



ではここでビッグバン理論を例にしてみる。

無から宇宙が始まったという科学理論であるが、仮にそれが正しいとしても、何がそのビッグバンを起こしたのかという科学理論は存在していない。

何か仮説があってもそれは量子力学の解釈と同じように哲学どまり。

つまりそこにスキがある以上、その原因についてどんな事でも想像する事ができる

(ある本に書いてあるように)神がそうやって世界を創ったなど言おうと思えば言える。

そんなワケないだろと神の存在を信じていない人は思う。

しかし宇宙が神の介在無しに誕生した証拠が存在しない以上、それを"科学的"に否定する事はできない。

※ある本に書かれていることが進化論などの理論で崩れているとしても、それはその本の矛盾点にすぎず神の存在否定自体にはなっていない。

つまり神が宇宙を創っていないという見解も"科学的"じゃない以上、それも厳密には信仰に該当する。

常識的に考えると無神論の方が正しいように思えるが、しかしどちらも科学的に見ると互角である。

宇宙の謎を完全に理解している人などこの世に存在しないのだから、そういう事になる。

では科学、哲学、宗教の定義を簡潔にまとめてみる。

■科学

ある対象のパターン解析

そしてそれ以上の意味はない

■哲学

宇宙(現実)について論理的に考えること

そしてその為には知識想像力が必要。

だが科学抜きの哲学はただの思考実験で話が終わる。

現実というのは誰かが見ている夢のようなものじゃないのかというような推測だけで話が終わる)

■宗教

人生の意味をその考えに求めるもの

そして科学や哲学抜きでは非論理的

ちなみに宗教と似ている信仰は、「ある考えを確実な証拠なしに支持すること」と定められるだろう。

これで話は終わったかに見えるが、しかしこの問題はかなり深いので他にも指摘したいことが色々とある。

たとえば科学まがいの哲学科学まがいの宗教についてなど。(他にも哲学まがいの宗教などのケースもある)

その二つの例を挙げると量子力学の解釈は科学まがいの哲学に該当する。

似たようなことを何度も言うがこれは科学的な要素を含んだ哲学である。科学として取り扱っている人がいるならその人が間違っている。

そして科学まがいの宗教はエントロピーと無秩序の誤解の中で例に挙げた偽エントロピーの増大の理論が分かりやすい。(こういうので世の中は溢れかえっている)

さらに一言に哲学と言っても様々な種類が存在し、先ほどの科学的な哲学や数学的な哲学も存在する。

他にも宇宙とは関係ない人生の哲学や、さらに宗教としての哲学など哲学の種類は無数にある。

そもそも科学すら本当は哲学の一種と言えるだろう。

だが近年は科学と哲学は完全に別々のものと捉えられ、更に科学者が哲学の話をまるで科学の話かのように語る例が増えている。

それは一体なぜか?

この続きは次の分析へつづく。(現在のところ公開は未定)