宇宙の謎を哲学的に深く考察しているサイト

"情報"を考慮した宇宙論(認識論)

■前回

宇宙論には基本的に二つの考え方がある

では早速"情報"を考慮したマテリアリズム、イデアリズム、ソリプシズムについて説明しよう。



■マテリアリズム+情報

この場合だとエヴェレットの多世界解釈(量子力学)多元宇宙論のようなパラレルワールド説が浮かんでくる。

情報で出来ているという事はそのパターンは現在知られている数、つまり観測可能な範囲の宇宙とは比べ物にならないほど膨大にあると考えることができる。

なので多世界解釈や多元宇宙論をも超えた数学的宇宙仮説(究極集合)という考えも存在する。

量子力学に存在する謎を解釈しやすくなるのでそういった意味でも支持されている。

参照:「エヴェレットの多世界解釈」の利点と問題点

ちなみに前回単純にイメージできるマテリアリズムは既に崩壊していると言ったがしかし場の量子論に従うと粒子(物)はそもそも場の振動という事になる。

場とは何かなど色々と問題は残るが、しかしそれが意識であるという意味にはならない。

つまり古典的なマテリアリズムの崩壊=イデアリズム的な考えが正しいということにはならない。

誰の観測が無くともそこに何かが存在するのであれば、それはマテリアリズム的な考え(リアリズム)として捉えていいわけである。

そしてシミュレーション仮説も「マテリアリズム+情報」から導くことは可能である。

※だがそれには大きな哲学的問題が取り付いてまわる(後述)

ちなみにシミュレーション仮説や多元宇宙論などを考慮せずにこの宇宙のみしか存在しないという解釈も一応ある。

宇宙は情報で出来ているわけじゃなく情報(数学)で表現可能なだけという具合に。

しかしその考えは色々と謎が残り過ぎる。(哲学を放棄した考えともいえる)

分からない部分は基本的に丸投げというスタンスなので、マテリアリズムにもかかわらずそういった意味ではこれはソリプシズム的な思想である。(認識論とは違う意味で)

量子力学一つとっても波動関数の収縮の謎気味の悪い遠隔作用など多世界の存在を仮定した方がマテリアリズムの説得力はある。

だが多世界やシミュレーションを考慮したマテリアリズムですら、哲学的に考えると様々な問題が浮上する。

(詳細は「シュレーディンガーの猫」と「意識解釈」などを参照)

イデアリズム+情報

基本的には古典的なものとは何も変わらない。

なので、を考慮すると結局辻褄を合わせるのが難しいのは変わらない。

純粋な精神世界生まれ変わりを理論的に説明しなければならないと考えたらどれだけ大変か想像できるだろう)

それにシミュレーション仮説との相性が非常に悪いのも問題といえる。(後述)

■ソリプシズム+情報

古典的なタイプだと意識の主が世界を自在にコントロールできない理由の原因を求めるのは難しかったが、この場合情報に原因を求めることが可能になる。

つまり意識は情報(決まったパターン)に沿って動いていることになるので、だから神のように振舞えないというわけである。

だがそれには問題がある。

意識していない部分によって意識が動いているということは、それは意識の外に何かがあるという事と変わらないように思える。

全てを理解している神の視点でのみしか世界が存在しないのであればそれで説明できるが、そうじゃない普通の生物の視点を考慮すると通常のソリプシズムはそもそもコンセプトとしてすら成り立ってない気もする。

この考えが色々と人気がない理由も無理はない。

ただし、それは普通の感覚で世界を考えた場合のみ。

このソリプシズム+情報の組み合わせは、シミュレーション仮説との相性が非常に良い特徴がある。

ここでその事を簡単に説明すると無限にまつわる問題がマテリアリズムより遥かに解釈しやすくなる。

更にイデアリズムでは解決困難だった死後の問題が、普通に解決する。(後述)

しかもイデアリズム的な特徴を持ち合わせているので孤独感が薄い。(ソリプシズムだが複数の経験が存在しうる)

参照:シミュレーション仮説が意味する現実の正体とは

ちなみにその中で触れていない、というかどういうわけか誰も考慮していない可能性をここでちょっと説明しよう。

(この指摘は今まで一度も見たことがない)

多世界解釈を正しいとすると、ある時間軸の中にシミュレーション宇宙を再現している世界が必ずあるはずである。

無限、もしくは限りなく無限に近い数の世界が存在するから)

そしてそのシミュレーション宇宙は別の時間軸に存在する"ナチュラルな宇宙"を再現しているとする。

ここで大きな問題が発生する。

どうやってその中の人は、"自然"と"人工"の現実の違いを見分けられるのか?

つまりある生物から見た視点だと完全に同一の意識経験が様々な時間軸に複数存在する。

それだけじゃなく、更にそれが自然と人工にも分かれることになる。

神の視点から見ればそこに世界全体としての違いがあるのは分かるが、しかし逆に言うと神の視点以外ではその違いを判断することは不可能に思える。

シミュレーション宇宙を再現している宇宙ですら、実はシミュレーションかもしれないので、どれだけ高度に発達した知的生命体でも本当の意味での神の視点を持つのは無理である。

だとすれば多世界解釈を宇宙の真理だと定めることは原理的に不可能なのではないだろうか。

このサイトの至る所で指摘しているがどのようなタイプのマテリアリズムも意識の問題を考慮すると途端に説得力が弱まる特徴がある。これは偶然じゃないだろう。

(説得力が弱い=間違いとはならないが、それでも個人的にはもうマテリアリズムを支持する気にはならない)

だがソリプシズム(+シミュレーション仮説)であれば同じく完全に解決することは無理でも、しかし全体的な流れとしては辻褄が合う。

つまりマテリアリズムだろうとイデアリズムだろうと、どれも水槽の脳タイプのシミュレーションを考慮するとソリプシズム的な現実の可能性を消すことはできない。

根底がソリプシズムではないにも関わらず。

現実はある一人の視点からでも成り立つ可能性があるので、だから通常のイデアリズムはシミュレーション仮説との相性が特に悪いわけである。

映画のマトリックス的な感じで宇宙の外に存在する"皆"がシミュレーション宇宙に存在するそれぞれの人物一人一人に繋がっている"必要性"がないから)

しかしソリプシズムであればソリプシズム的な現実の可能性はそもそも基本コンセプトに反していないので何も問題ないわけである。

しかもイデアリズムでは説明困難だった死後の世界が水槽の脳の概念によって説明可能になる。

この部分がシミュレーション仮説におけるソリプシズムの利点でもある。

というわけでこのサイトで取り扱っていることを大雑把にまとめた感じになったが、ここで取り上げた以外の可能性も一応存在する。

たとえば"物"と"意識"は別々の要素として本質的に存在しているという考え。

そのようなのは二元論と呼ばれている。

それをほとんど考慮していない理由は後日取り上げるとして、要するに宇宙(現実)はどちらかである。

意識で構成されているか、それとも、意識とは違う何かで構成されているか

どちらを信じるかはこのサイトを見て回って決めるのもいいかもしれない。

哲学の話は第二章へつづく。


■第二章

"機械"は意識を持つことが可能なのか?