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シミュレーション仮説を考慮した
中国語の部屋


■関連した分析

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"理解"という概念は宇宙において何を意味しているのか

中国語の部屋の番外編としてここでは強いAIや弱いAIの定義シミュレーション仮説と合わせて考えていく。

前々回取り上げたアルファ碁が思考をしているかどうかだが、これはシミュレーション仮説を考慮した哲学的ゾンビについての中で触れた行動的ゾンビの概念が鍵になると思える。

アルファ碁は意識の主でもなければ普通の人間(強いAI)にも当てはまらない。

つまりあるアルゴリズムに従ってそれらしく振舞っている行動的ゾンビといえる。

アルファ碁に思考の概念が存在するのは確かだろうが、しかしそれはアルファ碁が考えて囲碁をしているとはならない。

例えばある高度な会話機能を持つゲームのキャラ(ただし強いAIには該当しない)がいても、誰も"そのキャラ"が思考して会話しているとは思わないだろう。

そのキャラを構成しているプログラムがあるアルゴリズムに従ってそのやり取りを行っているというのが正確である。

そしてここからがポイントだが、そのようなプログラムは人(強いAI)が作り、そして宇宙の物理法則に則って動いている。

中国語の部屋の思考実験は部屋の中の人物理法則に置き換えても成立するので、つまり中国語の部屋(行動的ゾンビ)に存在する"思考"は宇宙によるものと言えるのではないだろうか。

もっと正確に言うと意識の主の潜在意識(神の頭脳)が中国語の部屋(アルファ碁)を動かしているという事になる。

妙な結論に思えるのは分かるが、しかしこれは要するに昔から言われている宇宙自体が一つの巨大なコンピュータという考えを水槽の脳シミュレーション仮説(ソリプシズム)として拡張しているだけなのでそれほど妙ではない。

そしてここから問題になるのが、強いAIと弱いAIの境目がどうなっているのかである。

おそらく、意識経験を抽出できない存在が弱いAIの定義ではないか。

つまり意識経験を抽出可能な存在が強いAIの定義として考える事ができる。

アルファ碁がどのような気持ちで囲碁をしているかというのは感情に該当する思考回路(アルゴリズム)が存在しないので、純粋に意識経験(クオリア)として体験(シミュレート)するのは無理である。

勝手な想像(不完全なシミュレーション)でアルファ碁の気持ちを"創作"するのは可能だが、(俗に言う擬人化

しかしそれは本当の意味でアルファ碁の立場になっているわけじゃないので当然アルファ碁の経験としてカウントされない。

可能なのはアルファ碁の"性能"を自分自身に取り付けるまでだろう。

それは機械融合型の"ポストヒューマン"(進化人類)と呼ばれる概念

つまり"アルファ碁自身の意識経験"は存在しないが、アルファ碁の性能を取り入れた強いAIの意識経験は存在する可能性があるわけである。



ちなみに先ほどから弱いAIは意識経験を持ち得ない前提で話しているが、実際のところどうなのかは分からない。

たとえばペットボトルの経験電信柱の経験は実は存在しうるという理論が宇宙の根底にあるかもしれない。(ないとは思うが)

だがもしあるのであればその場合弱いAIはそもそもこの世に存在しないという事になる。

※そのような考えは汎経験説(汎心論)といって実際に哲学の概念として存在するので興味があるなら各自調べてみてください。(Wikipedia

ちなみに強いAIの条件は意識経験を抽出可能な存在と言ったが、それがどのようなアルゴリズムで構成されているのを指すのかまでは見当が付かない。

なぜならそれは哲学の問題ではなく技術的な問題だからである。

(現在の技術レベルを大きく超えているのでコンピュータプログラマーロボット工学の専門家ですら現時点では予想するのは無理だろう)

ちなみに強いAIは意識を持つのかという問題は、これはシミュレーション仮説を考慮すると普通にあり得る話である。

ただし"その強いAI"が意識を持っているかどうかまでは不明である。(これは哲学的ゾンビの問題と同義)

そして前々回でも言ったように、人間の脳と強いAIを区別する物理法則が存在しないのであれば中国語の部屋の思考実験によって強いAIの製作が不可能と結論を出すのは間違いであるのは確かである。

ちなみに前回出した結論に関してだが、論理と言っても様々なレベルが存在するので"人間"だけが意識を持てるという意味にはならない。

たとえばトンボの人生がどのようなものかシミュレーションで体験しようとして、それを禁止する(体験不可能だと判明する)宇宙の法則があるとは思えない。

"脳"に該当するアルゴリズムが存在すればミジンコのような生物でも体験可能のはずである。

ただしアルファ碁のような弱いAIだとそれを禁止する宇宙の法則はあるかもしれない。

そこに"感覚"に該当する器官もなければそれと関連した"記憶"も存在しないので間違いなく体験するのは無理である。(実はあると言うのなら話は別だが、さっきも言ったようにそれはまずないだろう)

だが、弱いAIと強いAIの"中間"に該当するAIは存在するのではないか?

たとえば人間の腕(の機能)がある問題を解くのに非常に役立つ計算機になりえるとしよう。

腕のみの状態だとがないので腕の動きがどのような感覚か"腕としての腕の感覚"は存在しない。

だがそれを人に取り付ければ、その思考(動き)がどのような感覚なのかその人(強いAI)を通して存在することになる。

つまり脳がなくとも"神経"に該当するアルゴリズムが存在すれば、それは強いAIと弱いAIの中間と言えるかもしれないわけである。

人体で例にすると髪の毛や爪弱いAIに属する。

頭皮や指強弱中間のAIに属する。

そして強いAIに属する。

ちなみにどのようなアルゴリズムが強いAIや強弱中間のAIに該当するのかという問題は技術的な問題なので、それが明らかになるのは科学の進歩に委ねられる。

しかし、なぜそのアルゴリズムが強いAIに当てはまるのかという問題はまた話が変わってくる。

一見同じ意味のように思えるがその二つは全く違う問題である。

前者は意識のイージープロブレムに属し、後者は意識のハードプロブレムに属する。

そしてこれは逆転クオリアの概念と類似するので逆転クオリアの概念が意味するものとはを参照にしてください。


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